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オーストラリアのアボリジニ問題 まとめ

アボリジニとは?オーストラリア先住民の現在や迫害の歴史そして文化の ...

オーストラリアはイギリスからの移民によって

できた国ですが、アボリジニという原住民が

今も暮らしています。

 

オーストラリアは過去の過ちに対して

謝罪を行い償い続けていますが、

今もまだ問題は山積みです。

 

 

1.アボリジニとは?

suteacher.hatenablog.com

 

2.アボリジニはなぜ迫害されたのか?

suteacher.hatenablog.com

 

3.アボリジニは死にゆく人種?

suteacher.hatenablog.com

 

4.アボリジニへの歴史的謝罪

suteacher.hatenablog.com

 

5.今もまだ残るアボリジニ問題とは?

suteacher.hatenablog.com

今もまだ残るアボリジニ問題とは?

アボリジニとは?オーストラリア先住民の現在や迫害の歴史そして文化の ...

アボリジニへの歴史的謝罪」では、

オーストラリア政府のアボリジニへの

対応が好転したことを書きました。

 

しかし、今日に至っても

「アボリジニ問題」は存在します。

 

 

 

教育問題

アボリジニの教育レベルは、

かなり低いことが明らかになっています。

その主な理由は以下の2つだそうです。

教育による白人同化を恐れている

オーストラリアを統治しているのは、主に白人です。

オーストラリアの教育を動かすのも白人。

 

アボリジニの人々は、

その教育によって白人と同化してしまい、

アボリジニとしてのアイデンティテ

失ってしまうことを恐れています。


教育を受ける金銭的余裕が無い

親が貧しいために子どもも教育を受けられない。

負のスパイラルが続いています。

 

 

雇用問題

アボリジニの人々は、

社会的地位が低い職業に就くことが

多いことが明らかになっています。

 

これは決して、

人種差別による就職難ではありません。

 

アボリジニの人々が就職難に陥っているのは、

教育をしっかりと受けられていないこと

主な理由だそうです。

 

教育問題が、ここにもつながります。

 

健康問題

アルコール中毒、ドラッグ中毒に陥る

アボリジニがとても多いのだそうです。

 

そしてそうなってしまう理由に

・社会的地位の低さ

・経済的地位の低さ

・アイデンティティを失ってしまったこと

などが挙げられるそうです。

 

 

社会福祉による問題

アボリジニへの法律的な差別はほとんど無く、

むしろ社会福祉によって保護されています。


しかしその社会福祉を当てにして

堕落した生活を送るアボリジニが

後を絶たないそうです。

 

社会福祉のあり方が問われます。

 

 

白人の怒り問題

・政府に頼って堕落した生活を送るアボリジニ

・中毒になってすぐ問題を起こすアボリジニ

が、白人は許せないようです。

 

しかし、「こういう社会にしてしまったのは白人。」

というのがアボリジニの意見なのだそうです。

 

まとめ

現在のアボリジニは、

1.白人社会に同化している人

2.白人社会に同化しきれない人

3.白人社会とも関わりつつアボリジニも少し残して生きている人

4.白人社会とは関わらずアボリジニとして生きている人

など色々なようです。

 

完全な異文化同士が互いに溶け合って

生活するのはやはり難しいとうことでしょうか。

また、これまで世界で起きていたことは

こういうことの繰り返しだったのだと知りました。

オーストラリア日誌 -ファーム編- まとめ

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ファームジョブに関する記事をまとめました。

 

 

1.語学学校卒業!しかし大ピンチ!!

suteacher.hatenablog.com

 

2.ファームジョブ探しで学んだこと

suteacher.hatenablog.com

 

3.初めての仕事はズッキーニファーム

suteacher.hatenablog.com

 

4.ズッキーニ大戦争

suteacher.hatenablog.com

 

5.ファームで収穫量No.1のベストズッキーナーになる

suteacher.hatenablog.com

 

6.スイートポテト1日で、ズッキーニ1週間の給料超え

suteacher.hatenablog.com

 

7.「I'm owner. you are worker!!」

suteacher.hatenablog.com

 

8.残高が3000円。

suteacher.hatenablog.com

 

9.泥棒多め

suteacher.hatenablog.com

 

10.そろそろファームの街を出ようかと思う

suteacher.hatenablog.com

アボリジニへの歴史的謝罪

豪ラッド首相、議会でアボリジニに歴史的謝罪 写真2枚 国際ニュース ...

2013年6月14日

 

オーストラリアのアボリジニに対する

植民地化による迫害は1920年頃までのこと、

同化と保護は1960年頃までのことでした。

しかしそれ以降、同化策も廃止され、

徐々に「和解」へと向かっていきます。

 

近年、特に大きな動きが3つありました。

 

 

土地所有権の見直し(1990頃)

アボリジニが実は精神的にも経済的にも

土地と強く結びついていたことが

広く知られるようになります。


1993年の先住民原法により、

先住民が土地との繋がりを明らかにできた場合は

返還または保障なされるようになりました。


「空と大地の神が世界を作り、

私たち人間が生まれ育った大地は

家族が暮らす大きな家」

 

このような考えを持つ

アボリジニの人々にとって、

これはとても大きな出来事でした。

 

 

シドニーオリンピック(2000)

オリンピック会場を立候補する段階から

「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」

を約束し、和解への第一歩にしようとしていました。


そのため聖火リレーはの出発点を

アボリジニの聖地である

エアーズロックとしました。

 

また、第一走者を

アボリジニの「ノバ・ペリス・ニーボーン」

アトランタ五輪女子ホッケー金メダリス ト)

最終走者を「キャッシー・フリーマン」

シドニー五輪400m走金メダル獲得)

決定しました。

 

 

ケビン・ラッド首相の謝罪(2008)

オーストラリア元首相ケビン・ラッド氏が、

「『盗まれた世代』とその家族たちが受けた苦しみや痛みに対し謝罪する」

誇りある人々と文化が受けた侮辱に対し謝罪する」

とアボリジニに公式謝罪を行いました。

 

これは、アボリジニの人々が200年以上

求めていた歴史的謝罪でした。

 

ケビン・ラッド氏が謝罪したのは

かつての「同化」「保護」政策についてであり

土地の没収、虐殺については

触れなかったそうですが、

「I'm sorry」と繰り返すケビン・ラッド氏の姿に

アボリジニの人々は涙を流して喜んだそうです。

 

 

オーストラリア日誌 -語学学校編- まとめ

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語学学校で学んだこと、感じたことに

関する記事をまとめました。

 

 

1. 語学学校1日目

suteacher.hatenablog.com

 

2. 第一言語しか話せないのは日本だけ?

suteacher.hatenablog.com

 

3. 教え上手な先生のやり方は万国共通!

suteacher.hatenablog.com

 

4. 語学学校以外にも学べる場所はある

suteacher.hatenablog.com

 

5. スイスは欧州の異端児?

suteacher.hatenablog.com

 

6. イングリッシュネームがないのは日本人だけ?

suteacher.hatenablog.com

 

7. イスラム教徒の友達が固まってしまった

suteacher.hatenablog.com

 

8. 日本人は中国語を学ばなくていいのか?

suteacher.hatenablog.com

 

9. 海外のニュースを見るには、語学力を伸ばすだけじゃダメ?

suteacher.hatenablog.com

 

10. 語学学校卒業!しかし大ピンチ!!

suteacher.hatenablog.com

オーストラリア豆知識シリーズ まとめ

コアラ - Wikipedia

長文で書くまでもない、

オーストラリア豆知識をまとめました。

 

  

オーストラリア豆知識シリーズVol.1

    #1 国際コアラ会議が開かれている!
    #2 店員さんは必ず「How are you?」
    #3 街が綺麗
    #4 1階建てが多い
    #5 図書館は楽しむところ?

suteacher.hatenablog.com

 

オーストラリア豆知識シリーズVol.2

    #6 イギリスのNEWSがよく流れる
    #7 オーストラリアの女王は英国と同じ
    #8 歩行者に優しいドライバー
    #9 トヨタの車が多い
    #10 なまりがひどい

suteacher.hatenablog.com

 

 

オーストラリア豆知識シリーズVol.3

    #11 店が開くのも閉まるのも早い
    #12 グリーンティーにミルクを入れる
    #13 飲食店も多国籍

suteacher.hatenablog.com

アボリジニは「死にゆく人種」だった?

i.guim.co.uk/img/static/sys-images/Guardian/Pix...

2013年6月13日

 

今日はアボリジニの

「盗まれた世代」
について書きます。

 

「盗まれた世代」とは、

1869年から1969年までの間、

オーストラリア政府や教会によって 

家族から引き離された

オーストラリア・アボリジニの

混血の子どもたちを指す言葉です。

 

オーストラリア政府が行おうとしたのは

「同化・保護」という

アボリジニの人々に対する

人種隔離政策でした。

 

 

「同化・保護」を行った理由

一言で言うと、

オーストラリアを純粋な

白人社会にしたかったから

オーストラリア人は、

アボリジニを原始的な

石器時代の人間であると

認識していました。

 

オーストラリア人にとってアボリジニは

「絶滅すべき存在」だったのです。

1920年頃には、

アボリジニの人口は7万人

ほどにまで減少します。

 

そしてオーストラリア政府は

アボリジニを「死にゆく人種」として

分類するようになります。

西洋白人男性が世界で1番だと

考えているオーストラリア人は、

白人ではなく、あらゆる面で

自分たちよりも劣るアボリジニが

自分たちの社会に存在することが

おかしいと考えていたそうです。

 

 

「同化・保護」とは何か

同化

・混血アボリジニの子どもを親元から引き離す。

・その子どもたちを強制収容所や孤児院に収容する。

オーストラリア人としての教育を受けさせる。

 

しかしこの政策に対する財源は

ほとんど充てられず、結果失業、

アルコール依存症に陥る人が大勢居た。

 

また、アボリジニに免疫の無い病気も蔓延した。

「同化」という名の下の、単なる引き離しだった。

 

保護

純血アボリジニを、全国約250箇所に集めて、働かせる。

アボリジニの人々は、

賃金も与えられずひたすら働かせられました。

 

そしてその中には、

言語が通じない部族同士、

互いに関係を持ってはいけない部族同士

もいたそうです。

 

「保護」されるどころか、

奴隷のように扱われました。

 

 

オーストラリア政府は、

「同化」と「保護」という政策の下で

アボリジニの文化を絶やし、

アボリジニの存在そのものを

この世から消し去ろうとしたのです。

 

現在は多くのアボリジニが

オーストラリアで生活していますが、

結果として彼らからアボリジニとしての

アイデンティティを喪失させることになりました。

オーストラリアはなぜアボリジニを迫害したのか?

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-政府公認のゲームだったアボリジニ狩り-


2013年6月12日

 

今日は、

アボリジニに起こった悲劇

について書きます。

 

1788年のイギリスによる入植開始以降、

アボリジニの人口は減少し続け、

残った人々も社会の周辺へと

追いやられていきます。

 

アボリジニの人々が減少したのには

主に3つの理由があったそうです。

 

  

1.土地を奪われた

イギリス人は、

以下の2つの根拠に基づいて

アボリジニの土地を奪っていったそうです。

 

---------------------------------------------------------------
A.アボリジニは

・政治制度がない。

成文法も規律ある社会生活もない。

土地の所有関係をはっきりさせるものがない。

土地は未開・未所有なので、自由に開拓してよい。

 

B.神から与えられた土地を耕作せず、

 無為に放っておくことは

 キリスト教精神に反する。
---------------------------------------------------------------


A.
アボリジニには政治制度はありませんでしたが、

社会生活はありました。

イギリス人には、

裸で生活するアボリジニが

単なる野蛮人に見えたようです。

 

アボリジニが定住をしなかったのも

自然界と調和して生きる。」

という考えからであり、

イギリス側の論理は全く筋違いです。

B.
アボリジニが耕作をしなかったのもまた、

自然界と調和して生きる。」

という考えからでした。

彼らは自然に手を加えることを

よしとしなかったのです。

イギリス人が土地を奪う根拠は、

アボリジニの人々からすると

「意味不明」だったことでしょう。

しかし結局は土地争いに負け、

追い出されてしまうのです。

 

 

2.アボリジニ狩り

イギリス人は、

・服を着ない

・文字を持たない

・色が黒い

・文化を持たない

アボリジニを人類以前の生き物として

みなしていたそうです。

アボリジニを「人」として

認識していなかったのです。

アボリジニを殺すのは

動物を殺すのをなんら

変わらなかったのです

 

彼らは週末になると

「アボリジニ狩り」をおこなったそうです。

まるでゲームのように。

そしてなんとそれは政府公認であったとか。

 

3.伝染病

伝染病を持ち込んだのは、
入植したイギリス人です。
 
もちろんアボリジニの人々には
免疫がありません。
 
多くのアボリジニが原因も分からず
バタバタと倒れていったそうです。
 


その後

アボリジニも抵抗はしたそうですが、

当時世界一の国であった
イギリスに勝てるはずがありません。

1920年頃になると、
こうした強制的な迫害は無くなります。
しかし当初50~100万人いた
アボリジニの人々は、
この頃には7万人ほどにまで
減ってしまったそうです。

そしてアボリジニの人々の悲劇は
これだけではありませんでした。
明日は、
「奪われた世代」
について書きます。


調べれば調べるほど、
悲しくなってきます。
 
バンダバーグへ来る前、
ブリスベンでアボリジニに関する展示を目にしました。
 
その時は知識が無かったので
何も思いませんでしたが、
その展示の裏には
こうした歴史が隠されていたのだと思うと
ゾッとしました。

オーストラリアに住むアボリジニとは何か?

かつて『アボリジニ』に白人社会の食事が与えられたとき…歯の状態は ...

2013年6月11日

 

ファームに新しくタイ人がやってきました。

どう見ても40歳くらいのおじさんです。

「何歳?」と聞くと、「22歳」と言いました。

さらに「ワーホリビザを使ってオーストラリアに来た。」と言ってのけました。

なんでもありです。

 

仕事中に、ポケットに入れていた

アボカドを切って分けてくれました。

結構いい奴です。

 

これからしばらくは、

アボリジニについて。

 

この記事では、

今のオーストラリアを形作ったのは

囚人たちだったということを書きました。

しかしこの爆発的な経済発展は、

ある犠牲の上に成り立っていたものでした。

それは「アボリジニ」の人々です。

今日はアボリジニとは何か?についてです。

 

 

起源

12万年ないしは5万年前に他の大陸から

移住してきた。(未だ議論中)

 

生活

○家を持たず、移動を繰り返して生きる。

○農耕、放牧をしない。

○男性がブーメランや槍で動物を捕まえ、女性は植物や魚を採る。

○文字を持たない。⇒アボリジニアートが生まれた。

 

社会

○500ほどの部族、200以上の言語。

○一夫多妻制。

3歳から子供だけの生活空間で年長の子供から基本的な生活習慣を学ぶ。

5歳から子供同士で狩りや踊りの真似事で遊びながら部族の社会性を身に着ける。

○10歳で成人の儀礼を行う。

○アボリジニの男は「ドリーミング」を学び、より多くの儀式へ参加することで自らの社会的地位を高め、更により多くの部族を知ることや部族間の異なる言葉をより多く話せることが自慢だったと言われている。

 

ドリーミング

アボリジニ独特の思想体系。

彼らの神話、伝統、儀式、習慣、全てが「ドリーミング」。

祖先から受け継いだそれらを、

「ドリーミング」という物語として

今も伝えている。

 

思想

「空と大地の神が世界を作り、

私たち人間が生まれ育った大地は

家族が暮らす大きな家。」

という概念が根底にあり、

自然界と調和して生きる、

自然への畏敬の念を忘れずに

暮らすことこそが、

本当の幸せをもたらす。

 

感想

調べてみると、かなり独特の文化を
形成していたことがわかりました。
 
彼らが住むのは砂漠の辺境地帯。
普通の人間ならとても住めないような
厳しい自然環境の中です。


その厳しい自然環境へ故意に

手を加えることもなく生きてきた人間が、

アボリジニでした。


一見、何もないように見える大地から

芋を見つけて掘り出し、特別な木を見つけて

そこから噴出す水を飲む。

 

自然には暮らすための何もかもが揃っている

それが彼らの考え方なのだそうです。

家を作り、服を着て、農耕し、

放牧し、工場で生産を伸ばし、

店や会社を持ち、娯楽を増やし、

自然を完全に作り変えてしまった

私たち現代人とは間逆の存在なのです。

 

 

囚人の国オーストラリアが発展したわけ

ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia

2013年6月8日

 

1788年からイギリスはオーストラリアへの

入植を始めるわけですが、

その後「植民地オーストラリア」は

予想外の発展をしていきます。


もはや単なる「囚人の移送先」では

無くなっていくわけです。

しかしなぜ、単なる植民地が

そんなにも発展することができたのか。

その理由について調べてみました。

大きな発展の主な理由は3つあったそうです。

 

 

 

 

1.豊富な資源

言うまでも無く、

オーストラリア

豊富な資源があったこと

が1番の理由です

 


2.囚人の質

囚人たちの80%は16~35歳でした。

まさに働きざかりの年齢です。

また、彼らの識字率や熟練労働者の割合

ロンドンの数字とほぼ同じか

れを上回るほどだったそうです。

教育の必要がありませんでした。

 

さらに、囚人なので社会福祉の必要も

ありませんでした。

 

つまり、オーストラリア

教育の必要も社会福祉の必要も無い

最も便利な労働力

確保したのです。

 


3.
ナポレオン戦争の終結

上記のような好条件が

揃っていたにも関わらず、

実は1815年頃までは

オーストラリアの発展は緩やかなものでした。

 

1815年に何があったかというと、

「ナポレオン戦争の終結」です。

フランス革命戦争の勃発により、

1790年頃からイギリス国内の余剰戦力は

軍隊に吸収されていきます。


もちろん、囚人もです。

しかし1815年、ナポレオン戦争が終結。

犯罪者や浮浪者を大量に抱えていた軍隊も解散。

一気に25万人が失業します。

またまた犯罪者が急増。

ここでまたオーストラリアの出番です。

こうして、1815年からの5年間で

植民地の人口は2倍以上までに膨らみます。

 

イギリスはこれを利用して

オーストラリアを更に発展させていくのです。

オーストラリアが植民地になったのは、産業革命で犯罪者が増えたから

数分で、第四次産業革命を概観|Masaya.Mori 森正弥|note

 

時は大航海時代。

数多くのヨーロッパ人が、

新たな大陸を求めて海に出ました。

 

オーストラリア大陸に最初に

到来した白人はオランダ人でした。

1606年のことです。

 

しかし彼が到達したところは

赤道付近の北部地域。

植民地には向かないと判断し、

引き返しました。

 

時を経て1788年、

遂にイギリスによる入植が始まりました。

の植民地化には、

「産業革命」が深く関わっていたのです。

18世紀~19世紀にかけて、

イギリスでは産業革命が起こります。

革命初期は、当然莫大な人手を必要としていました。

そして数多くの労働者が工場で働いていました。

しかし時代は変わります。

労働者が最も恐れる

「機械化」が進められたのです。

機械化によって多くの労働者が職を失います。

貧しい人々が増えると

それに伴って増えるのは、「犯罪」。

盗みを働く人が急増します。

 

当時のイギリスでは、

パンを盗んでも服を盗んでもお金を盗んでも

全て死刑が宣告されたそうです。

こうして、「死刑宣告」された

囚人が後を絶ちませんでした。

 

元々イギリスでは、

罪人を北米植民地へ移送し労働力として

現地の地主に売却するという制度がありました。

奴隷になるわけです。

 

しかしアメリカ独立戦争の勃発により、

イギリス政府は罪人の移送先を失ってしまいます。

 

イギリス国内の収容所はもう囚人でいっぱい。

政府は新しい収容先を模索し、

囚人によって新たに植民地を

建設しようという提案が起こりました

 

こうして候補地に選ばれたのが

現在のオーストラリアだったのでした

学校は新しいツールよりも、昔ながらのツールに固執する

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これは、 既存のカリキュラムのほとんどにもともと存在する障壁を乗り越えるために使える方略集だそうです。
 
これとガイドライン全文を照らし合わせながら読み進めていくと、
もう既に日本の公立小学校の先生たちが、様々な困難を抱える子供たちに配慮した方法を実施していることがわかります。
 
ただ、ここに書かれていて日本の公立小学校で行われることが少ないと感じたのは、「テクノロジー」についてです。
 
「1.1情報の表し方をカスタマイズする多様な方法を提供するには、
・印刷教材では、情報はずっと固定された形で表示される。
・適切に準備されたデジタル教材なら、同じ情報でも表示のしかたをいろいろと変えられる。
・順応性が高く、カスタマイズ(調整)が可能である。
といったことが書かれていました。
 
普段自分が使っている教材が、全員にとって使いやすいとは限らず、
形を変えればもっと使いやすいものになるかもしれない。
これまでそんな風に考えたことはありませんでした。
 
※デジタル教科書は形を変えることができますが、
児童1人1人の困難に合わせてカスタマイズすることはできません
 
 
また、「 5.2制作や作文に多様なツールを使う 」には、
・ 学校では新しいツールよりも昔ながらのツールに固執する傾向が見られる。
・この傾向には、いくつかの弊害がある。
1)学習者の将来にむけた準備になっていない。
2)内容や教える方法で、できることの幅が限られてしまう。
3)学習者が学んだ内容についての知識を表出する(評価してもらう)ために使えるすべが限られてしまう。
4)そのツールでうまくやれる学習者も限られてしまう。
 
といったことが書かれていました。
 
配慮が必要な子どもにこそ、テクノロジーをはじめとしたさまざまな方法に触れさせ、
彼らの可能性を引き出すことが必要だと感じました。
また、方法を絞ることで、可能性を狭めてしまうこともあるのだと知りました。
 
 「学びのユニバーサルデザイン(UDL)ガイドライン全文」
Suggested Citation:CAST (2011).Universal Design for Learning Guidelines version 2.0.Wakefield, MA: Author.日本語版翻訳:金子晴恵バーンズ亀山静子

 


 

オーストラリア豆知識シリーズVol.3 グリーンティーにミルクは入れる?

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長文で書くまでもない、

オーストラリア豆知識を紹介します。

 

 

 

#11 店が開くのも閉まるのも早い

とにかく早いです。

朝5時からカフェが開いています。

朝7時からスーパーが開いています。

そして夕方5時にはほとんどの店が閉まります。

だから平日は買い物ができません...。

スーパーだけは、8時頃までやっています。

もしかするとファームの街だからかもしれません。

オーストラリアというかバンダバーグ豆知識でしょうか。

 

 

#12 グリーンティーにミルクを入れる

日本人でも入れる人はいるのでしょうか。

ゴールドコーストでホストファミリーがそうしていたことにとても驚きました。

イギリス人の友人もグリーンティーにミルクを入れていました

西洋の風習なんだそうです。

結構おいしいです。

 

 

#13 飲食店も多国籍

ゴールドコーストにもブリスベンにもバンダバーグにも、

色んな国の飲食店があります。

バンダバーグはとても小さい街ですが、

中華料理店、インド料理店、

イタリア料理店、フランス料理店など色々あります。

日本料理店も2件あります。

移民の国オーストラリアらしいです。

 

 

suteacher.hatenablog.com

suteacher.hatenablog.com

カリキュラムに「障害がある」とはどういう意味か?

 f:id:suteacher:20200612224931p:plain
 
引き続きこの資料について。
 
「学びのユニバーサルデザイン(UDL)ガイドライン全文」
Suggested Citation:CAST (2011).Universal Design for Learning Guidelines version 2.0.Wakefield, MA: Author.日本語版翻訳:金子晴恵バーンズ亀山静子
 
 

 

カリキュラムに「障害がある」とはどういう意味か?

1.「誰に教えることができるか」という点

カリキュラムは、教室に現実に存在するさまざまな学習者が使用することを想定、デザイン、検証されていない場合がしばしばある。
特別に優れた能力や才能がある人、特別なニーズや障害のある人、母語が外国語の人など、“普通”の枠に入らない学習者ほど、架空の“平均的な人”のために考案されたカリキュラムによって負担を背負わされがちである。

2.「何を教えることができるか」という点

カリキュラムは情報や内容を伝授したり評価したりするためにデザインされることが多く、学習者が理解し、判断し、まとめ、情報を使える知識に変換するのに必要なスキルである学習方略を育てることまで考慮されていない。

3.「どのように教えられるか」という点

カリキュラムは、とても限られた教え方のオプションしか提供できないことがしばしばある。
大概は、学習者の違いに応じて、あるいは同じ学習者であってもその時の理解度に合わせて、教え方をいろいろと変えられるようになっていないだけでなく、教育学的研究の根拠に基く多くの重要な要素を提供できていないという点からも障害があると言える。 
 
 

UDLはどのようにカリキュラムの障害に対処するのか?

既存のカリキュラムをよりアクセス可能にするためによくとられる方法は、そのカリキュラムを改造して全ての学習者がよりアクセスしやすくしようとすること。
学びのユニバーサルデザインとは、最初から一人ひとりの違いに対処する意図で体系的にカリキュラム(すなわち、目標・方法・教材教具・評価)をデザインすることを意味している。
 
 

感想

これが書かれたのは旧学習指導要領の時のことなので今とは状況が違うとは思いますが、カリキュラム自体を問い続けることは必要なのかなと思いました。
 
・1学級に1人の担任がいるということ
・1学級の人数が30~40人であること
・みんなが座って一斉授業を受けること
など、今ある環境でどうやって教えようかと考えることも大切ですが、
そもそもその環境に疑問をもつことも必要なのかなと思いました。

「オーストラリア」という国名になったわけ

2013年6月3日

 

その昔、古代ギリシアでのお話。

知識人の間では地球球体説

既に唱えられていました。

 

しかし当時知られていた大陸は、

全て北半球に偏っていました。

 

「なんてバランスが悪いんだ。」

と思った彼らは、

南半球にも、釣り合いが取れる

 巨大な陸地があるはずだ!」

という仮説を打ち立てます。

ダイナミックですね。


彼らはその仮説上の大陸を

「メガラニカ」

または

「テラ・アウストラリス・インコグニタ」

と呼びました。

未知の南方大陸という意味だそうです。

これらは長く仮説に過ぎませんでしたが、

大航海時代(15世紀頃)に突入すると

南半球にも多くの陸地があることが

明らかになります。


人々は、

「メガラニカがあるかもしれない!!」

と胸を躍らせました。


そして現在のニュージーランドや

オーストラリアが次々と発見され、

そのたびに人々は

「遂にメガラニカ発見だ!!」

と喜びました。

 

しかしどれも考えていた程大きくはなく

次第にメガラニカの存在は

完全に否定されるようになりました。

しかし今のオーストラリア大陸は

その後も「テラ・アウストラリア」

呼ばれ続けました。


時を経て、

より言いやすいオーストラリア

という名前が定着したということです。

 

おしまい

 

 

「未知の南方大陸」発見は、

先人たちの夢でした。


彼らにとっての

「新たな大陸の発見」は、

例えるならば私達にとっての

「宇宙人の発見」くらいに心躍る

ものだったのではないでしょうか。

未知の大陸を求めて航海する。

これこそが冒険だと思いました。

オーストラリア」という名前には、

壮大なドラマが隠されていました。

 

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