オーストラリアのアボリジニ問題 まとめ
オーストラリアはイギリスからの移民によって
できた国ですが、アボリジニという原住民が
今も暮らしています。
オーストラリアは過去の過ちに対して
謝罪を行い償い続けていますが、
今もまだ問題は山積みです。
1.アボリジニとは?
2.アボリジニはなぜ迫害されたのか?
3.アボリジニは死にゆく人種?
4.アボリジニへの歴史的謝罪
5.今もまだ残るアボリジニ問題とは?
今もまだ残るアボリジニ問題とは?
「アボリジニへの歴史的謝罪」では、
オーストラリア政府のアボリジニへの
対応が好転したことを書きました。
しかし、今日に至っても
「アボリジニ問題」は存在します。
教育問題
アボリジニの教育レベルは、
その主な理由は以下の2つだそうです。
教育による白人同化を恐れている
オーストラリアを統治しているのは、主に白人です。
オーストラリアの教育を動かすのも白人。
アボリジニの人々は、
その教育によって白人と同化してしまい、
アボリジニとしてのアイデンティティを
失ってしまうことを恐れて
教育を受ける金銭的余裕が無い
親が貧しいために子どもも教育を受けられない。
負のスパイラルが続いています。
雇用問題
アボリジニの人々は、
社会的地位が低い職業に就くことが
多いことが明らかになっていま
これは決して、
人種差別による就職難ではありません。
アボリジニの人々が就職難に陥っているのは、
教育をしっかりと受けられていないことが
主な理由だそうです。
教育問題が、ここにもつながります。
健康問題
アルコール中毒、
アボリジニがとても多いのだそうです。
そしてそうなってしまう理由に
・社会的地位の低さ
・経済的地位の低さ
・アイデンティティを失ってしまったこと
などが挙げられるそうです。
社会福祉による問題
アボリジニへの法律的な差別はほとんど無く、
むしろ社会福祉によって保護されています。
しかしその社会福祉を当てにして
堕落した生活を送るアボリジニが
後を絶たないそうです。
社会福祉のあり方が問われます。
白人の怒り問題
・政府に頼って堕落した生活を送るアボリジニ
・中毒になってすぐ問題を起こすアボリジニ
が、白人は許せないようです。
しかし、「こういう社会にしてしまったのは白人。」
というのがアボリジニの意見なのだそうです。
まとめ
現在のアボリジニは、
1.白人社会に同化している人
2.白人社会に同化しきれない人
3.白人社会とも関わりつつアボリジニも少し残して生きている人
4.白人社会とは関わらずアボリジニとして生きている人
など色々なようです。
完全な異文化同士が互いに溶け合って
生活するのはやはり難しいとうことでしょうか。
また、これまで世界で起きていたことは
こういうことの繰り返しだ
オーストラリア日誌 -ファーム編- まとめ
ファームジョブに関する記事をまとめました。
- 1.語学学校卒業!しかし大ピンチ!!
- 2.ファームジョブ探しで学んだこと
- 3.初めての仕事はズッキーニファーム
- 4.ズッキーニ大戦争
- 5.ファームで収穫量No.1のベストズッキーナーになる
- 6.スイートポテト1日で、ズッキーニ1週間の給料超え
- 7.「I'm owner. you are worker!!」
- 8.残高が3000円。
- 9.泥棒多め
- 10.そろそろファームの街を出ようかと思う
1.語学学校卒業!しかし大ピンチ!!
2.ファームジョブ探しで学んだこと
3.初めての仕事はズッキーニファーム
4.ズッキーニ大戦争
5.ファームで収穫量No.1のベストズッキーナーになる
6.スイートポテト1日で、ズッキーニ1週間の給料超え
7.「I'm owner. you are worker!!」
8.残高が3000円。
9.泥棒多め
10.そろそろファームの街を出ようかと思う
アボリジニへの歴史的謝罪
2013年6月14日
オーストラリアのアボリジニに対する
「植民地化による迫害」は1920年頃までのこと、
「同化と保護」は1960年頃までのことでした。
しかしそれ以降、同化策も廃止され、
徐々に「和解」へと向かっていきます。
近年、特に大きな動きが3つありました。
土地所有権の見直し(1990頃)
アボリジニが実は精神的にも経済的にも
土地と強く結びついていた
広く知られるようになります。
1993年の先住民原法により、
先住民が土地との繋がりを明らかにできた場合は
返還または保障が
「空と大地の神が世界を作り、
私たち人間が生まれ育った大地は
家族が暮らす大きな家」
このような考えを持つ
アボリジニの人々にとって、
これはとても大きな出来事でした。
シドニーオリンピック(2000)
オリンピック会場を立候補する段階から
「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」
そのため聖火リレーはの出発点を
アボリジニの聖地である
エアーズロックとしました。
また、第一走者を
アボリジニの「ノバ・ペリス・ニーボーン」に
(
最終走者を「キャッシー・フリーマン」に
(
決定しました。
ケビン・ラッド首相の謝罪(2008)
オーストラリア元首相ケビン・ラッド氏が、
「『盗まれた世代』
「
とアボリジニに公式謝罪を行いました。
これは、アボリジニの人々が200年以上
求めていた歴史的謝罪でした。
ケビン・ラッド氏が謝罪したのは
かつての「同化」「保護」
土地の没収、
触れなかったそうですが、
「I'm sorry」と繰り返すケビン・
アボリジニの人々は涙を流して喜んだそうです。
オーストラリア日誌 -語学学校編- まとめ
語学学校で学んだこと、感じたことに
関する記事をまとめました。
- 1. 語学学校1日目
- 2. 第一言語しか話せないのは日本だけ?
- 3. 教え上手な先生のやり方は万国共通!
- 4. 語学学校以外にも学べる場所はある
- 5. スイスは欧州の異端児?
- 6. イングリッシュネームがないのは日本人だけ?
- 7. イスラム教徒の友達が固まってしまった
- 8. 日本人は中国語を学ばなくていいのか?
- 9. 海外のニュースを見るには、語学力を伸ばすだけじゃダメ?
- 10. 語学学校卒業!しかし大ピンチ!!
1. 語学学校1日目
2. 第一言語しか話せないのは日本だけ?
3. 教え上手な先生のやり方は万国共通!
4. 語学学校以外にも学べる場所はある
5. スイスは欧州の異端児?
6. イングリッシュネームがないのは日本人だけ?
7. イスラム教徒の友達が固まってしまった
8. 日本人は中国語を学ばなくていいのか?
9. 海外のニュースを見るには、語学力を伸ばすだけじゃダメ?
10. 語学学校卒業!しかし大ピンチ!!
オーストラリア豆知識シリーズ まとめ
長文で書くまでもない、
オーストラリア豆知識をまとめました。
オーストラリア豆知識シリーズVol.1
#1 国際コアラ会議が開かれている!
#2 店員さんは必ず「How are you?」
#3 街が綺麗
#4 1階建てが多い
#5 図書館は楽しむところ?
オーストラリア豆知識シリーズVol.2
#6 イギリスのNEWSがよく流れる
#7 オーストラリアの女王は英国と同じ
#8 歩行者に優しいドライバー
#9 トヨタの車が多い
#10 なまりがひどい
オーストラリア豆知識シリーズVol.3
#11 店が開くのも閉まるのも早い
#12 グリーンティーにミルクを入れる
#13 飲食店も多国籍
アボリジニは「死にゆく人種」だった?
2013年6月13日
今日はアボリジニの
「盗まれた世代」とは、
1869年から1969年までの間、
家族から引き離された
オーストラリア・アボリジニの
混血の子どもたちを指す言葉です。
オーストラリア政府が行おうとしたのは
「同化・保護」という
アボリジニの人々に対する
人種隔離政策でした。
「同化・保護」を行った理由
一言で言うと、
オーストラリアを純粋な
白人社会にしたかったから
オーストラリア人は、
アボリジニを原始的な
石器時代の人間であると
認識していました。
オーストラリア人にとってアボリジニは
「絶滅すべき
1920年頃には、
ほどにまで減少します。
そしてオーストラリア政府は
アボリジニを「死にゆく人種」
分類するようになります。
西洋白人男性が世界で1番だと
考えているオーストラリア人は、
白人ではなく、
自分たちよりも劣るアボリジニが
自分たちの社会に存
おかしいと考えていたそうです。
「同化・保護」とは何か
同化
・混血アボリジニの子どもを親元から引き離す。
・その子どもたちを強制収容所や孤児院に収容する。
・オーストラリア人としての教育を受けさせる。
しかしこの政策に対する財源は
ほとんど充てられず、結果失業、
また、アボリジニに免疫の無い病気も蔓延した。
「同化」という名の下の、単なる引き離しだった。
保護
純血アボリジニを、全国約250箇所に集めて、働かせる。
アボリジニの人々は、
賃金も与えられずひたすら働かせられました。
そしてその中には、
言語が通じない部族同士、
互いに関係を持ってはいけない部族同士
もいたそうです。
「保護」されるどころか、
奴隷のように扱われました。
オーストラリア政府は、
「同化」と「保護」という政策の下で
アボリジニの文化を絶やし、
この世から消し去ろうとしたのです。
現在は多くのアボリジニが
オーストラリアで生活していますが、
結果として彼らからアボリジニとしての
アイデンティティを喪失さ
オーストラリアはなぜアボリジニを迫害したのか?
-政府公認のゲームだったアボリジニ狩り-
2013年6月12日
今日は、
について
1788年のイギリスによる入植開始以降、
アボリジニの人口は減少し続け、
残った人々も社会の周辺へと
追いやられていきます。
アボリジニの人々が減少したのには
主に3つの理由があったそうです。
1.土地を奪われた
イギリス人は、
以下の2つの根拠に基づいて
アボリジニの土地を奪っていったそう
------------------------------
A.アボリジニは
・政治制度がない。
・
・
・
B.神から与えられた土地を耕作せず、
キリスト教精神に反する。
------------------------------
A.
アボリジニには政治制度はありませんでしたが、
社会生活はありました。
イギリス人には、
裸で生活するアボリジニが
単なる野蛮人に見えたようです。
アボリジニが定住をしなかったのも
「
という考えからであり、
イギリス側の論理は全く筋違いです。
B.
アボリジニが耕作をしなかったのもまた、
「
という考えからでした。
彼らは自然に手を加えることを
よしとしなかったのです。
イギリス人が土地を奪う根拠は、
アボリジニの人々からすると
「意味不明」
しかし結局は土地争いに負け、
追い出されてしまうのです。
2.アボリジニ狩り
イギリス人は、
・服を着ない
・文字を持たない
・色が黒い
・文化を持たない
アボリジニを人類以前の生き物として
みなしていたそうです。
アボリジニを「人」として
認識していなかったのです。
アボリジニを殺すのは
動物を殺すのをなんら
変わらなかったのです
彼らは週末になると
「アボリジニ狩り」をおこなったそうです。
まるでゲームのように。
そしてなんとそれは政府公認であったとか。
3.伝染病
その後
アボリジニも抵抗はしたそうですが、
1920年頃になると、
しかし当初50~100万人いた
そしてアボリジニの人々の悲劇は
明日は、
調べれば調べるほど、
その展示の裏には
オーストラリアに住むアボリジニとは何か?
2013年6月11日
ファームに新しくタイ人がやってきました。
どう見ても40歳くらいのおじさんです。
「何歳?」と聞くと、「22歳」と言いました。
さらに「ワーホリビザを使ってオーストラリアに来た。」
なんでもありです。
仕事中に、ポケットに入れていた
アボカドを切って分けてくれました。
結構いい奴です。
これからしばらくは、
アボリジニについて。
この記事では、
今のオーストラリアを形作ったのは
囚人たちだったということを書きました。
しかしこの爆発的な経済発展は、
ある犠牲の上に成り立っていたものでした。
それは「アボリジニ」の人々です。
今日はアボリジニとは何か?についてです。
起源
12万年ないしは5万年前に他の大陸から
移住してきた。(
生活
○家を持たず、移動を繰り返して生きる。
○農耕、放牧をしない。
○男性がブーメランや槍で動物を捕まえ、女性は植物や魚を採る。
○文字を持たない。⇒アボリジニアートが生まれた。
社会
○500ほどの部族、200以上の言語。
○一夫多妻制。
○
○
○10歳で成人の儀礼を行う。
○アボリジニの男は「ドリーミング」を学び、
ドリーミング
アボリジニ独特の思想体系。
彼らの神話、伝統、儀式、習慣、全てが「ドリーミング」。
祖先から受け継いだそれらを、
「ドリーミング」
今も伝えている。
思想
「空と大地の神が世界を作り、
私たち人間が生まれ育った大地は
家族が暮らす大きな家。」
自然界と調和して生きる、
暮らすことこそが、
感想
その厳しい自然環境へ故意に
手を加えることもなく生きてきた人間
アボリジニでした。
一見、何もないように見える大地から
芋を見つけて掘り出し、
そこから噴出す水を飲む。
自然には暮らすための何もかもが揃っている、
それが彼らの考え方なのだそうです。
家を作り、服を着て、農耕し、
放牧し、工場で生産を伸ばし、
自然を完全に作り変えてしまった
私たち現代人とは間逆の存在なの
囚人の国オーストラリアが発展したわけ
2013年6月8日
1788年からイギリスはオーストラリアへの
入植を始めるわけで
その後「植民地オーストラリア」は
予想外の発展をしていきます。
もはや単なる「囚人の移送先」では
無くなっていくわけです。
しかしなぜ、単なる植民地が
そんなにも発展することができたのか。
その理由について調べてみました。
大きな発展の主な理由は3つあったそうです。
1.豊富な資源
言うまでも無く、
オーストラリアに
豊富な資源があったこと
が1番の理由です
2.囚人の質
囚人たちの80%は16~35歳でした。
まさに働きざかりの年齢です。
また、
ロンドンの数字とほぼ同じか
そ
教育の必要がありませんでした。
さらに、囚人なので社会福祉の必要も
ありませんでした。
つまり、
教育の必要も社会福祉の必要も無い
最も便利な労
確保したのです。
3.ナポレオン戦争の終結
上記のような好条件が
揃っていたにも関わらず、
実は1815年頃までは
オーストラリアの発展は緩やかなも
1815年に何があったかというと、
「ナポレオン戦争の終結」
フランス革命戦争の勃発により、
1790年頃からイギリス国内の余剰戦力は
軍隊に吸収されていき
もちろん、囚人もです。
しかし1815年、ナポレオン戦争が終結。
犯罪者や浮浪者を大量に抱えていた軍隊も解散。
一気に25万人が失業します。
またまた犯罪者が急増。
ここでまたオーストラリアの出番です。
こうして、
植民地の人口は2倍以上までに膨らみま
イギリスはこれを利用して
オーストラリアを更に発展させていくの
オーストラリアが植民地になったのは、産業革命で犯罪者が増えたから
時は大航海時代。
数多くのヨーロッパ人が、
新たな大陸を求めて海に出ました。
オーストラリア大陸に最初に
到来した白人はオランダ人でした。
しかし彼が到達したところは
赤道付近の北部地域。
植民地には向かないと判断し、
引き返しました。
時を経て1788年、
遂にイギリスによる入植が始まりました。
その植民地化には、
「産業革命」
18世紀~19世紀にかけて、
イギリスでは産業革命が起こります。
革命初期は、当然莫大な人手を必要としていました。
そして数多くの労働者が工場で働いていました。
しかし時代は変わります。
労働者が最も恐れる
「機械化」が進められたのです。
機械化によって多くの労働者が職を失います。
貧しい人々が増えると
それに伴って増えるのは、「犯罪」。
盗みを働く人が急増します。
当時のイギリスでは、
パンを盗んでも服を盗んでもお金を盗んでも
全て死刑が宣告された
こうして、「死刑宣告」された
囚人が後を絶ちませんでした。
元々イギリスでは、
罪人を北米植民地へ移送し労働力として
現地の地主に売却するとい
奴隷になるわけです。
しかしアメリカ独立戦争の勃発により、
イギリス国内の収容所はもう囚人でいっぱい。
政府は新しい収容先を模索し、
建設しようという提案が起こりました
こうして候補地に選ばれたのが
現在のオーストラリアだったのでした
学校は新しいツールよりも、昔ながらのツールに固執する
「学びのユニバーサルデザイン(UDL)ガイドライン全文」Suggested Citation:CAST (2011).Universal Design for Learning Guidelines version 2.0.Wakefield, MA: Author.日本語版翻訳:金子晴恵バーンズ亀山静子
オーストラリア豆知識シリーズVol.3 グリーンティーにミルクは入れる?
長文で書くまでもない、
オーストラリア豆知識を紹介します。
#11 店が開くのも閉まるのも早い
とにかく早いです。
朝5時からカフェが開いています。
朝7時からスーパーが開いています。
そして夕方5時にはほとんどの店が閉まります。
だから平日は買い物ができません...。
スーパーだけは、8時頃までやっています。
もしかするとファームの街だからかもしれません。
オーストラリアというかバンダバーグ豆知識でしょうか。
# 12 グリーンティーにミルクを入れる
日本人でも入れる人はいるのでしょうか。
ゴールドコーストでホストファミリーがそうしていたことにとても
イギリス人の友人もグリーンティーにミルクを入れていました
西洋の風習なんだそうです。
結構おいしいです。
#13 飲食店も多国籍
ゴールドコーストにもブリスベンにもバンダバーグにも、
バンダバーグはとても小さい街ですが、
中華料理店、インド料理店、
イタリア料理店、
日本料理店も2件あります。
移民の国オーストラリアらしいです。
カリキュラムに「障害がある」とはどういう意味か?
カリキュラムに「障害がある」とはどういう意味か?
1.「誰に教えることができるか」という点
2.「何を教えることができるか」という点
3.「どのように教えられるか」という点
UDLはどのようにカリキュラムの障害に対処するのか?
感想
「オーストラリア」という国名になったわけ
2013年6月3日
その昔、古代ギリシアでのお話。
既に唱えられていました。
しかし当時知られていた大陸は、
全て北半球に偏っていました。
「なんてバランスが悪いんだ。」
と思った彼らは、
「
巨大な陸地があるはずだ
という仮説を打ち立てます。
ダイナミックですね。
彼らはその仮説上の大陸を
「メガラニカ」
または
「テラ・アウストラリス・インコグニタ」
と呼びました。
未知の南方大陸という意味だそうです。
これらは長く仮説に過ぎませんでしたが、
大航海時代(
南半球にも多くの陸地があることが
明らかになります。
人々は、
「メガラニカがあるかもしれない!!」
そして現在のニュージーランドや
オーストラリアが次々と発見
そのたびに人々は
「遂にメガラニカ発見だ!!」
と喜びました。
しかしどれも考えていた程大きくはなく
次第にメガラニカの存在は
完全
しかし今のオーストラリア大陸は
その後も「テラ・
呼ばれ続けました。
時を経て、
より言いやすい「オーストラリア」
おしまい
「未知の南方大陸」発見は、
先人たちの夢でした。
彼らにとっての
「新たな大陸の発見」は、
例えるならば私達にとっての
「宇宙人の発見」
ものだったのではないでしょうか。
未知の大陸を求めて航海する。
これこそが冒険だと思いました。
「オーストラリア」という名前には、