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オーストラリアの労働運動のきっかけも金?

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2013年6月22日

 

オーストラリアの労働運動を知る上で

欠かせないのが、

ユーレカ革命です。

ゴールドラッシュの流れに乗り

希望に燃えてやってきた金鉱の生活は、

ほとんどの人にとって惨めなものでした。


金を見つけて豊かになれる人は

ごくわずかだったのです。


更に人々を追い詰めたのが税金


働いても稼げない。

稼げないのにお金を取られる。

お金が無ければ罰せられる。

次第に、人々の間に不満が積もっていきました。

1854年10月の深夜。

飲んだくれた炭鉱夫2人が、

ホテルのドアをたたきました。


もう閉店になっていたので主人は断り、

二人は悪態をついて帰りました。

 

途中何者かに襲われ、一人は殺され、

一人は殴り倒され意識不明になりました。

 

翌朝、ホテルの主人が殺人の罪で

捕まりましたが、証拠不十分で釈放。

 

炭鉱夫たちは、ホテルの主人が

裁判官と友達だから釈放されたと、

これに抗議しました。

 

殺人現場に4000人が集まり、

興奮した群集はホテルに

火を放って焼いてしまいました。

炭鉱夫たちは政府に様々な抗議をしますが、

政府は聞く耳を持ちません。

 

炭鉱夫たちの怒りはいよいよ頂点に達します。

暴動を恐れた政府は、軍隊を続々と送り込みました。

それに対抗して炭鉱夫たちは、

砦を築き、軍から奪った武器で武装し、

南十字星の旗を掲げ、150人がたてこもります。

 

しかし彼らが油断したある日曜日、

突如軍に襲われました。

 

ほとんどが寝入っていた炭鉱夫たちは

一方的にやられ、

戦いは20分で終わってしまいました。

 

炭鉱夫側の死者22人、けが人20人、

軍は死者4人、けが人12人 でした。

政府は戦いには勝ったものの、

再びこのようなことが起こることのないように

労働者への待遇を改善します。

 

そしてこのような労働運動が

オーストラリア全土に広がっていきます。

 

次第に、オーストラリア全土で

労働者の権利が拡大されるようになります。

※ちなみにその権利とは、

・賃金を上げる

・税金を下げる

・長時間労働の廃止する

・普通選挙権を与える

・土地の購入を認める

などでした。

ユーレカ革命は、

数字から見ると小さな出来事のように見えますが、

歴史的には大きな意味のあるものでした。

 

【参考】

オーストラリアの歴史 - Wikipedia

ユリーカの反乱、ユーリーカの反乱、ユレカの反乱、ユレカ砦の反乱 - [Bun45] オーストラリア辞典 - 大阪大学大学院 西洋史学研究室