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ビクトリア女王が愛した街Melbourne


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初期
約40000年前   
先住民族クリンの人々が暮らし始めました。
 
1834年       
ヨーロッパ人による、現在のメルボルンへの本格的な移住が始まります。
クリンの人々は伝染病、虐待、誤治療、アルコール中毒性病によって急激に減りました。
 
1837年               
 当時の英国首相メルバーン卿にちなんで
メルボルン」という名前になったそうです。
 
また、当時の総督によって将来に向けての都市設計が始まりました。
これによりメルボルンは港・郵便局・銀行・新聞社・教会・学校・病院・劇場・居酒屋など中心的な都市に発展しました。
 
1851年       
イギリスのビクトリア女王にちなんで
州の名前が「ビクトリア州になります。
 
カナダにもビクトリア州アメリカにもビクトリアという地があります。
調べてみるとその地が出来たのはどちらもビクトリア女王在位時のことでした。


 ゴールドラッシュ以降
1851年
ゴールドラッシュが始まります。
ビクトリアは、ゴールドラッシュの影響を最も受けた地域です。
 
理由は、多くの移民がビクトリアの港を通じて
オーストラリアへやってきたからだそうです。
 
1853年
毎週900隻もの船がビクトリアに到着し、
時には1日に7隻の割合で船が入港したのだとか。

メルボルンはこれによって1880年代には大英帝国で2番目に大きな都市となりました。
イギリスの数ある都市よりも大きな都市だったのです。
 

先ほど書いたビクトリア女王の在位期間は1937年から1901年。
この時期が、イギリスが最も繁栄していた時代です。
20世紀になると、世界の主導権は徐々にアメリカのものとなっていきます。
イギリスがあったからこそ力を持ったメルボルン
イギリスの衰退とともに力を失ったのもメルボルンでした。

メルボルンには、イギリスが繁栄していた時代に
建てられた建物の多くがそのまま残っています。
メルボルンは栄華を誇った大英帝国の化石なのかもしれません。

かつてイギリスに、ビクトリア女王に愛されたメルボルンには
気品溢れる建物が立ち並び、上品な、そして落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

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