私が教師を辞めるワケ ~学校はパンク寸前だ~
いずれ教師は授業をしなくなる。そう考える理由は2つある。
1つ目は、授業準備にかける時間があまりに少ないということ。
「教師は授業力が命。」という言葉をよく耳にする。にも関わらず、行事の準備や校務文章の仕事など、授業の以外の時間に追われて授業のことについて考える暇がない。結局、教科書に書いてあることをそのまま教える授業になってしまうことが多い。特に6年生の担任の仕事は、もはやイベント会社のサラリーマンだ。年中何かしらの行事の準備をしている。何から何まですべて担うのは、もう無理だ。
2つ目は、学校の授業は時代遅れだということ。
情報がどこからでも取り入れることができる時代に、教師が黒板を使って教科書の内容を教える授業なんて古すぎる。
アクティブラーニングということが盛んに言われているが、教師の指示のもとグループや全体で話し合っている活動が多い。これは本当にアクティブラーニングと言えるのだろうか。
多くの教師は、「時代に合わない古い授業」がどうしたら上手くなるかを追い求め、日々研究を続けている。努力の方向が間違っている。もはや誰にも求められない伝統工芸だ。一斉授業なんて、予備校の講師の方が上手い。
このような理由から私は、いずれ教師は授業をしなくなると考えている。
では、学校はどうなっていくのか。よく言われていることでもあるが、これからの教室の姿について3つ提案する。
1つ。最低限の知識は、AIドリルで身に付ける。オンラインで上手な講師の授業を視聴してもいい。その子その子に合った問題、つまり個別最適化された学習に取り組む。学校を休んでも追いつけるし、理解していないのに先に進むということがない。先生は教えるのではなくて、支援する。ティーチングではなくコーチングだ。
2つ。教師はコーディネーターになる。45分の約半分でAIドリルを使った学習を終えるとする。残りの時間で、先生が考えた課題についてクラスの友達と話し合う。
3つ。能力別の学級編成にする。能力が違う子たちに向けて一斉授業をすることに、そもそも無理がある。
説明は上手な先生にオンラインで任せよう。知識の定着はAIドリルに任せよう。教師はコーチであり、コーディネーターとしての役割を果たす。教師の数も増やすべきだ。質が低くてもいい。そのくらい、人が足りない。
今の学校は、もうパンクしている。しかし学校が変わる兆しは全く見えない。