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オーストラリアはなぜアボリジニを迫害したのか?

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-政府公認のゲームだったアボリジニ狩り-


2013年6月12日

 

今日は、

アボリジニに起こった悲劇

について書きます。

 

1788年のイギリスによる入植開始以降、

アボリジニの人口は減少し続け、

残った人々も社会の周辺へと

追いやられていきます。

 

アボリジニの人々が減少したのには

主に3つの理由があったそうです。

 

  

1.土地を奪われた

イギリス人は、

以下の2つの根拠に基づいて

アボリジニの土地を奪っていったそうです。

 

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A.アボリジニは

・政治制度がない。

成文法も規律ある社会生活もない。

土地の所有関係をはっきりさせるものがない。

土地は未開・未所有なので、自由に開拓してよい。

 

B.神から与えられた土地を耕作せず、

 無為に放っておくことは

 キリスト教精神に反する。
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A.
アボリジニには政治制度はありませんでしたが、

社会生活はありました。

イギリス人には、

裸で生活するアボリジニが

単なる野蛮人に見えたようです。

 

アボリジニが定住をしなかったのも

自然界と調和して生きる。」

という考えからであり、

イギリス側の論理は全く筋違いです。

B.
アボリジニが耕作をしなかったのもまた、

自然界と調和して生きる。」

という考えからでした。

彼らは自然に手を加えることを

よしとしなかったのです。

イギリス人が土地を奪う根拠は、

アボリジニの人々からすると

「意味不明」だったことでしょう。

しかし結局は土地争いに負け、

追い出されてしまうのです。

 

 

2.アボリジニ狩り

イギリス人は、

・服を着ない

・文字を持たない

・色が黒い

・文化を持たない

アボリジニを人類以前の生き物として

みなしていたそうです。

アボリジニを「人」として

認識していなかったのです。

アボリジニを殺すのは

動物を殺すのをなんら

変わらなかったのです

 

彼らは週末になると

「アボリジニ狩り」をおこなったそうです。

まるでゲームのように。

そしてなんとそれは政府公認であったとか。

 

3.伝染病

伝染病を持ち込んだのは、
入植したイギリス人です。
 
もちろんアボリジニの人々には
免疫がありません。
 
多くのアボリジニが原因も分からず
バタバタと倒れていったそうです。
 


その後

アボリジニも抵抗はしたそうですが、

当時世界一の国であった
イギリスに勝てるはずがありません。

1920年頃になると、
こうした強制的な迫害は無くなります。
しかし当初50~100万人いた
アボリジニの人々は、
この頃には7万人ほどにまで
減ってしまったそうです。

そしてアボリジニの人々の悲劇は
これだけではありませんでした。
明日は、
「奪われた世代」
について書きます。


調べれば調べるほど、
悲しくなってきます。
 
バンダバーグへ来る前、
ブリスベンでアボリジニに関する展示を目にしました。
 
その時は知識が無かったので
何も思いませんでしたが、
その展示の裏には
こうした歴史が隠されていたのだと思うと
ゾッとしました。