アボリジニへの歴史的謝罪
2013年6月14日
オーストラリアのアボリジニに対する
「植民地化による迫害」は1920年頃までのこと、
「同化と保護」は1960年頃までのことでした。
しかしそれ以降、同化策も廃止され、
徐々に「和解」へと向かっていきます。
近年、特に大きな動きが3つありました。
土地所有権の見直し(1990頃)
アボリジニが実は精神的にも経済的にも
土地と強く結びついていた
広く知られるようになります。
1993年の先住民原法により、
先住民が土地との繋がりを明らかにできた場合は
返還または保障が
「空と大地の神が世界を作り、
私たち人間が生まれ育った大地は
家族が暮らす大きな家」
このような考えを持つ
アボリジニの人々にとって、
これはとても大きな出来事でした。
シドニーオリンピック(2000)
オリンピック会場を立候補する段階から
「アボリジニら先住民に貢献する五輪の開催」
そのため聖火リレーはの出発点を
アボリジニの聖地である
エアーズロックとしました。
また、第一走者を
アボリジニの「ノバ・ペリス・ニーボーン」に
(
最終走者を「キャッシー・フリーマン」に
(
決定しました。
ケビン・ラッド首相の謝罪(2008)
オーストラリア元首相ケビン・ラッド氏が、
「『盗まれた世代』
「
とアボリジニに公式謝罪を行いました。
これは、アボリジニの人々が200年以上
求めていた歴史的謝罪でした。
ケビン・ラッド氏が謝罪したのは
かつての「同化」「保護」
土地の没収、
触れなかったそうですが、
「I'm sorry」と繰り返すケビン・
アボリジニの人々は涙を流して喜んだそうです。