オーストラリアが植民地になったのは、産業革命で犯罪者が増えたから
時は大航海時代。
数多くのヨーロッパ人が、
新たな大陸を求めて海に出ました。
オーストラリア大陸に最初に
到来した白人はオランダ人でした。
しかし彼が到達したところは
赤道付近の北部地域。
植民地には向かないと判断し、
引き返しました。
時を経て1788年、
遂にイギリスによる入植が始まりました。
その植民地化には、
「産業革命」
18世紀~19世紀にかけて、
イギリスでは産業革命が起こります。
革命初期は、当然莫大な人手を必要としていました。
そして数多くの労働者が工場で働いていました。
しかし時代は変わります。
労働者が最も恐れる
「機械化」が進められたのです。
機械化によって多くの労働者が職を失います。
貧しい人々が増えると
それに伴って増えるのは、「犯罪」。
盗みを働く人が急増します。
当時のイギリスでは、
パンを盗んでも服を盗んでもお金を盗んでも
全て死刑が宣告された
こうして、「死刑宣告」された
囚人が後を絶ちませんでした。
元々イギリスでは、
罪人を北米植民地へ移送し労働力として
現地の地主に売却するとい
奴隷になるわけです。
しかしアメリカ独立戦争の勃発により、
イギリス国内の収容所はもう囚人でいっぱい。
政府は新しい収容先を模索し、
建設しようという提案が起こりました
こうして候補地に選ばれたのが
現在のオーストラリアだったのでした