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オーストラリアが植民地になったのは、産業革命で犯罪者が増えたから

数分で、第四次産業革命を概観|Masaya.Mori 森正弥|note

 

時は大航海時代。

数多くのヨーロッパ人が、

新たな大陸を求めて海に出ました。

 

オーストラリア大陸に最初に

到来した白人はオランダ人でした。

1606年のことです。

 

しかし彼が到達したところは

赤道付近の北部地域。

植民地には向かないと判断し、

引き返しました。

 

時を経て1788年、

遂にイギリスによる入植が始まりました。

の植民地化には、

「産業革命」が深く関わっていたのです。

18世紀~19世紀にかけて、

イギリスでは産業革命が起こります。

革命初期は、当然莫大な人手を必要としていました。

そして数多くの労働者が工場で働いていました。

しかし時代は変わります。

労働者が最も恐れる

「機械化」が進められたのです。

機械化によって多くの労働者が職を失います。

貧しい人々が増えると

それに伴って増えるのは、「犯罪」。

盗みを働く人が急増します。

 

当時のイギリスでは、

パンを盗んでも服を盗んでもお金を盗んでも

全て死刑が宣告されたそうです。

こうして、「死刑宣告」された

囚人が後を絶ちませんでした。

 

元々イギリスでは、

罪人を北米植民地へ移送し労働力として

現地の地主に売却するという制度がありました。

奴隷になるわけです。

 

しかしアメリカ独立戦争の勃発により、

イギリス政府は罪人の移送先を失ってしまいます。

 

イギリス国内の収容所はもう囚人でいっぱい。

政府は新しい収容先を模索し、

囚人によって新たに植民地を

建設しようという提案が起こりました

 

こうして候補地に選ばれたのが

現在のオーストラリアだったのでした