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囚人の国オーストラリアが発展したわけ

ナポレオン・ボナパルト - Wikipedia

2013年6月8日

 

1788年からイギリスはオーストラリアへの

入植を始めるわけですが、

その後「植民地オーストラリア」は

予想外の発展をしていきます。


もはや単なる「囚人の移送先」では

無くなっていくわけです。

しかしなぜ、単なる植民地が

そんなにも発展することができたのか。

その理由について調べてみました。

大きな発展の主な理由は3つあったそうです。

 

 

 

 

1.豊富な資源

言うまでも無く、

オーストラリア

豊富な資源があったこと

が1番の理由です

 


2.囚人の質

囚人たちの80%は16~35歳でした。

まさに働きざかりの年齢です。

また、彼らの識字率や熟練労働者の割合

ロンドンの数字とほぼ同じか

れを上回るほどだったそうです。

教育の必要がありませんでした。

 

さらに、囚人なので社会福祉の必要も

ありませんでした。

 

つまり、オーストラリア

教育の必要も社会福祉の必要も無い

最も便利な労働力

確保したのです。

 


3.
ナポレオン戦争の終結

上記のような好条件が

揃っていたにも関わらず、

実は1815年頃までは

オーストラリアの発展は緩やかなものでした。

 

1815年に何があったかというと、

「ナポレオン戦争の終結」です。

フランス革命戦争の勃発により、

1790年頃からイギリス国内の余剰戦力は

軍隊に吸収されていきます。


もちろん、囚人もです。

しかし1815年、ナポレオン戦争が終結。

犯罪者や浮浪者を大量に抱えていた軍隊も解散。

一気に25万人が失業します。

またまた犯罪者が急増。

ここでまたオーストラリアの出番です。

こうして、1815年からの5年間で

植民地の人口は2倍以上までに膨らみます。

 

イギリスはこれを利用して

オーストラリアを更に発展させていくのです。